「比較史のなかの日本・アジア」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第4回】東京大学文学部東洋史学研究室 島田 竜登

■内容

1.比較史とは何か

  • 「比較」と「連関」は、グローバルに物を考えようとするときの代表的な手法である。今回の講義では「比較」を中心に考える。
  • 比較はポイントを定めて検討を行う。比較は、単純に比較する手法、ある地域をモデルとした実用的な比較手法、また比較によって世界史を全体としてとらえるという方法がこれまで採られてきた。

2.事例としての比較経済史

  • ある国をモデルとして自国の発展段階を考える方法がよく利用されるが、日本では西洋をモデルとし、アジアでは日本をモデルとする方法が多くとられてきた。
  • 事例1大塚史学:近代とは何か、市民とは何か、ということをテーマにヨーロッパとの比較研究を行ったが、日本では近代化、市民が確立していない、このモデルとしてヨーロッパを研究した。
  • 事例2雁行発展モデル:赤松要、小島清など。途上国が先進国を追って発展する。その過程で労働集約から資本集約が進み、輸入代替を実現して輸出志向が進む。日本はアジアの先行者としてアジアNIEsASEAN、中国をけん引する。
  • ルックイーストという政策もあったけれども、アジア諸国にとってどこまで日本がモデルになっているかという議論はある。

3.これまでの比較史研究の問題点

  • モデルとして西洋や日本が常にモデルとなりうるのか。
  • 一国を単位として比較を行うこととした場合、そもそも国どうしは相互に影響し合っているのではないか。例えば宗主国と植民地など。
  • 経済的な数量等で優劣を競うということ自体がおかしいのではないか、あるがままにとらえるべきではないか、という視点も台頭してきた。トイレに紙がない社会、服を着ない社会だってあるが、これは合理性を備えている、遅れているとは言えないはずだ。
  • 一つのヒント:オランダ東インド会社、長崎出島の奴隷(インドネシア人)。史的唯物論からすると奴隷(古典古代)ではない?←おかしい。奴隷にもさまざまな形態、肉体労働→召使的性格。バタヴィアはヨーロッパそのものではなくアジアそのものでもない。

■感想

  • こうした形で歴史学を俯瞰することで、今まで頭の中で渾然としていた歴史像が少し明確な形を帯びてくる。
  • いろいろな形の歴史研究はあるが、何らかのパターンに依拠して形成されており、それぞれのパターンに基づく限界があること、また、それぞれは共通語をもしかすると持たないのではないかということである。

■講義動画

http://ocw.u-tokyo.ac.jp/movie?id=1083&r=356741773