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映画『時計じかけのオレンジ』監督・脚本:スタンリー・キューブリック、1971年

アレックス(マルコム・マクダウェル)は非行仲間三人と夜な夜なドラッグに溺れては喧嘩をしたり女性や老人など弱い者へ暴力をふるうなど狂暴な行為に及んでいる。

ある夜、彼は仲間たちと女性がたった一人で留守番をしている屋敷に金目当てで侵入するが、これまでリーダーとして締め付けてきた仲間の裏切りもあって警察に捕えられ、その場での殺人により刑期14年を宣告され、刑務所に収容される。

何とかして刑務所を出所したい彼は、たまたま訪れた政権交代で着任した内務大臣に訴え、「精神を病院で矯正することにより社会復帰させる」という政策のモデル第一号として選ばれる。

大喜びで出所を果たしたアレックスだが、二週間の予定で入院した病院では、暴力的シーンを集めた映画や第二次世界大戦当時のナチスの行為を撮影した映画を一日中強制的に見せられるという「意外な」治療を受ける。そして、この治療によりアレックスは暴力への極度の拒否反応を示すような体質へと変貌を遂げる。

退院後にアレックスを待っていたのは、これまで彼がひどい目に遭わせてきた人々だった。今度はまったく逆の立場でアレックスは痛め付けられ、もはや暴力が使えない体質になった彼は反撃もできない。助けを求め、彼はかつて忍び込み乱暴を働いた家に逃げ込んだものの、ここでは治療の過程で暴力映画のBGMとして聴かせられ、激しい拒否反応を示すようになってしまったベートーヴェンの第九交響曲を無理やり聴かせられ、彼は幽閉された部屋から身を投げてしまう。

f:id:alpha_c:20120923184408j:image:left最後は、政治により翻弄される形となったが、映画自体は正視しがたいシーンの連続だった。この映画を「2001年」の監督が制作したのか正直なところ理解に苦しむところで、人には薦めたくない映画、ということになる。この映画制作の主たる動機は「人間の強制的な教化」であることは間違いない。ところが、襲われる側や教化する側の人間たちがそろっておかしな趣味嗜好を持っており、異常と正常の区別自体判別しがたいというのも特徴だった。