歴史秘話ヒストリア「大江戸なんだこりゃ!?ハジケて笑える“文化文政時代”」

十返舎一九

・文化文政期、東海道中膝栗毛は大人気となったが、作者の十返舎一九は、その儲けを全部酒につぎ込んでしまった。このため金がなく、家具は筆で壁にたんすなどを描いてすませていた。また、新年のあいさつに着ていく服がないと困っているところへ近くの旦那がいい着物を着ているのを見て、むりやり風呂に入らせてちゃっかり借用してしまった。辞世の句は「此の世をば どりゃお暇に せん香の 煙とともに 灰 左様なら」

・江戸時代の人々はお金を持っていなかった。しかし人々はやさしかった。細かい仕事があるためその日暮らしをすることができた。農村よりは自由だった。貧しくても宵越しの金は持たないという気風があった。

○勝小吉

・勝小吉、下級武士で自伝まで残したが、ともかく破天荒だった。喧嘩ばかりしている。

・当時は平和な時代で、武士の半分は職にあぶれ、武士からぬ仕事、盆栽を作ったり、歌舞伎小屋の雑用などをしていた。

・小吉は14歳で上方へ放浪の旅へ出るが、すぐ金をだまし取られる。しかし伊勢への巡礼と偽って、施しを受けながら4カ月も旅を続けた。

・江戸に戻っても遊び続ける。そして勝海舟が生まれても家出する。24歳の若さで隠居しようとする。

・一方女性は、春色梅児誉美というメロドラマが大人気だった。また、色事にうつつをぬかしたり亭主や子供は見たくもないなどといったりしていた。

徳川家斉

徳川家斉は将軍在位50年という歴代一位の在位期間だったが、大奥に入りびたり、側室は40人以上、子供も53人で、他の将軍とけた違いである。癒着とスキャンダルが絶えなかった。側室お美代はその家族を要職につけさせた。

・偽紫田舎源氏、女性遍歴を繰り返す物語が大ベストセラーになった。

・女湯覗きが多発、寄席など享楽的な文化が花開いた。

・一方、財政は破たん寸前で、悪貨が鋳造され、経済は大混乱となった。一揆・打ちこわしが頻発、農村では餓死者も出た。

・家斉の死後、天保の改革により寄席・歌舞伎が閉鎖される。平和で浮かれた時代は終わった。

・ハリスの通訳ヒュースケンは、江戸の人々の飾り気のなさ、無邪気さを称賛している。世の中の苦労をあまり気にしない。老婆から赤子まで笑い満ち足りている。愉快な人々だった。

■コメント

・時代は違うが、据物斬りで腰を抜かしたり酒で失敗したり女房に悩まされたりを繰り返した、元禄期の朝日文左衛門『鸚鵡籠中記』と共通するものを感じる。

・一方では、新渡戸稲造『武士道』に示される規律ある武士の姿とはかけ離れたものとなっている。武士道はフォーマルで、鸚鵡籠中記やこの番組での武士の姿は日常だったのか。

十返舎一九の辞世「灰左様なら」はユーモア、粋の極み。

・明治期にやはり無一文で東海道を下った古今亭志ん生は、勝小吉の放浪の旅を地で行くようなものだった。