ハーバード白熱教室@東京大学「戦争責任を議論する」

・ 正義とは、最大多数の最大幸福(功利主義)、人間の尊厳に価値をおく(カント)、美徳と共通善(アリストテレス)の三つの立場がある。

・ カントによれば、道徳はわれわれの自由な選択の結果(自律した判断)として生じる。道徳は普遍的なものである。純粋実践理性の立場から判断される。

アリストテレスは、道徳性はわれわれのよき生の考え方から切り離すべきではない。正義が何かを理解することは、何がよき生なのか理解する必要があるということだ。正義と道徳性は善から考えるべきである。一方カントはこれを切り離すべきと考えた。

・ われわれの義務は自律した判断なのか、特定の文化・目的から生じるものなのか。これを探求しよう。家族に対する義務として、殺人を犯した弟を警察に突き出すべきだろうか。

・ (学生意見)家族と他人に隔てはないから突き出す、家族はすべての社会の基本であり弟を突き出さない、弟もよき生を送るために警察に突き出す、人を殺さないという共同体のルールを破っている、家族だけでなく自身にも社会にも責任がある。

・ 日本の被災者を助けるか、海外の被災者を助けるのか。パキスタンの洪水では、多くの援助の手が差し伸べられた。しかし、日本で災害が起きたとき、自国を大切にするのか。

・ (学生意見)自分は日本に育てられており日本が優先である(←コミュニタリアンではないか)、100円を50円ずつにすればよいのではないか(←一人しか助けられないとすればどうするのか、コイントスか←貧しい人を選ぶ)、国籍だから日本を助けるのでなくアイデンティティとして日本人を助けたい(←愛国心は美徳だろうか悪習だろうか)

・ 自分の国が過去に起こした過ちの責任をとるべきだろうか。道徳責任は世代を超えて負うべきものだろうか。第二次世界大戦中に日本が東アジアで犯した行為について謝罪すべきだろうか。

・ (学生意見)過去の歴史は認識していなければならないが責任を負う必要はない、祖父の世代は自分にもつながっている相手が傷みを感じている間は謝罪すべきである、その世代が責任をとるべきである現世代は責任を取るべきでない伝えていく義務はある、未来永劫謝罪するというのは現実的ではない未来の世代は過去の世代を選ぶ自由がない、同じ世代であっても戦争に反対している人も謝罪すべきなのか朝鮮出兵は過去の問題だが第二次世界大戦は現在の問題であり過去の問題にすべきではない、文化には切れ目があるので責任を負うべきではない、国家の行為には反対しても止められないものがある、自分達の文化や歴史を加害者の視点から見るべきではなく被害者の視点から見るべきではないか(←歴史は連続するものと見ることに興味がある)

オバマは広島への原爆投下に謝罪すべきであろうか。

・ (学生意見)謝罪すべきは被害者と加害者の世代の間である子孫同士が謝罪するのは不自然、自分がかかわることのできない問題について謝罪はありえない、もし親が隣人を殺しても謝罪しないのだろうか、親が隣の家を燃やしてしまったら費用を支払うのか謝罪だけか、国と国というコミュニティで考えると分かりづらいが会社同士であれば担当者が変わっても責任を負うだろう(←オバマはどう謝罪すべきか、核兵器のない社会をつくる道徳的責任があると考えるべきなのか←過去の過ちをふまえ行動する権利があるのではないかこれを果たせば立派な大統領だ←アメリカと日本は相互に謝罪すべきか←未来志向のために区切りをつけるべきなのでは)

・ 過去の過ちに対する謝罪と賠償はこれまでよく議論されてきた。これほど感情的で道徳的な問題はないだろう。議論が百出したことは非常に喜ばしい。問題を解決することはなかったが、大抵のディベートは全員が納得するものには落ち着かない。ただ前進はしているのだ。これがわれわれの社会で公共的なものを実現する唯一の方法だろう。私の結論は、日本人は積極的な対話に参加することはないだろうということを実際の経験で反論することができたということだ。道徳や共通善について、決して結論に達しないのに議論し続けるのかということがある。哲学者は何千年も議論して結論に達していない。しかし、この問いは避けられない問いなのだ。哲学は世界を変えることができる。

・ 全体で3時間半を超える白熱教室であった。(学生意見)授業のやり方は非常にうまい、意見をまとめて発表できるようにしたい、(市議会議員)興奮の連続熱が出た議論の大事さを改めて認識した、(高校教員)生徒の意見を引き出していく力に驚いた

・ 哲学者と現代の問題を結びつけるよう意識している。対話型の授業は、それぞれの学びつまり自分自身で考えることが最高の教育であるということ、その手法を学ぶことに尽きる。

・ (猪瀬副知事)日本語というものを考えさせられた、(岡田斗司夫)考え続けるのが正義であり道である。

■コメント

東京大学の学生による積極的な議論が印象的で、またそうした議論に誘導できるサンデル教授の手腕は見事というよりほかない。自分の学生時代も下宿ではそんな議論も交わしていたような記憶があるけれど、講義は基本的に一方通行だった。こうした講義を通じて考え、議論する力を育てることこそが一番大切な気がする。