映画『グラン・トリノ』クリント・イーストウッド

こんな映画には久しくお目にかかったことがなかった。

主人公(クリント・イーストウッド)は、元フォードの自動車工場の工員で、かつての名車といわれた「グラン・トリノ」の製造ラインで働いていた。会社を退職した今でも自分のガレージにはたくさんの工具をしつらえ、自分が手掛けたグラン・トリノを大切に保管している。

彼には息子や孫たちがいるが、孫たちに至っては自分の妻である祖母の葬式にへそピアスで参列したり、祖父に対しても何かものをせしめようとするばかりだ。息子夫婦も自分を親切ごかしに施設に入れようとするなど、あからさまな仕打ちで、ますます家族との心の距離が離れていっている。

そんな中、彼の住む郊外の一帯は、ラオス少数民族であるモン族が多く住むようになり、隣にもモン族の家族が住むようになった。彼は最初「米食らい」の彼らを嫌い、つとめて敬遠していたが、街角で黒人に取り囲まれているその家族の娘を救ったこと、また誕生日にその家族のパーティに招かれたことなどがきっかけでモン族の人びと、とりわけその娘にしたしみを感じるようになる。

弟は、引っ込み思案でおとなしい性格だったが、悪いモン族の仲間にそそのかされ、彼の愛車グラン・トリノを盗もうとする。しかし、彼に現場をおさえられ、逆にお詫びとして彼の手伝いをするようになる。壊れかかった雨どいを直したり、はがれかかった塗装を直したりする作業をするうちに見直され、弟は、男としての心がまえや行動を学んだり、就職口として大工になるのを世話されたりし、自立への道を歩き始める。

そんな中、例の悪い仲間が現れ、彼に用意してもらった大工道具などを壊され、頬に火の付いたタバコを押し付けられるなどのいじめを受ける。そのいきさつを知った彼は激高し、その悪い仲間を呼び出し、地面にねじ伏せ、もう弟とはかかわらないように話を付ける。

しかし、その連中は、報復として弟の家に車で乗りつけ、自動小銃を連射してけがを負わせ、娘をじゅうりんする。

弟は憤り、すぐに銃を持って報復しようとするが、彼はそれを超える怒りを持ちながらも弟をなだめ、翌日16時になったらまた来いと諭す。当日血気にはやる弟が現れると、階下に閉じ込めてしまい、自分が昔参加した朝鮮戦役でのこと、人を殺すということがどれだけその後の人生に影を落とすことになるかを教える。そして彼は単身、丸腰で相手の家に押しかけていく。そして、タバコに火を付けようとしたとたん、悪い仲間が弾丸を一斉に掃射し、息を引き取る。

最初のうちは頑固なジジイでしかない彼だが、人生の落日を迎え、それにあらがうように男を貫いて死んでいく。一つひとつの言葉が、なんとも無骨で荒っぽく、カッコいいのだ。特徴的な目を細めて怒りを表すしぐさは、あの若かったころの片鱗がより熟成された形であらわれている。

亡くなった妻からの遺言で懺悔を促す若い牧師に対しては、最期の日に初めて従い、何十年ぶりかの懺悔を行うが、そこで述懐したのは、妻がありながら他の女性に対してキスをしたこと、売上があったのに税を申告しなかったこと、だけだ。従軍した朝鮮戦争での現地人の殺傷、そして、これから向かおうとする報復の現場についてのことは何一ついうことはない。そうした根本的なことについて、誰に命令されるのでもなく自ら行ったことであると捉え、赦しを請うことをしない。

もう一つ、この映画には本当のアメリカがある。吹いている風、家の調度、ホコリ、みんなアメリカの本当の姿だ。

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