歌舞伎『神霊矢口渡』国立劇場

思い立って国立劇場に行くことにした。国立は初めてである。

半蔵門が最寄り駅だが、西船橋から東西線で九段下まで、その後半蔵門線に乗り換えて一つ、ほぼ1時間程度で到着することができた。午後7時からという遅い時間からの始まりだが、金曜日であるせいか会場はほとんど満席だった。

今日は、「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」ということで全体で2時間程度、まずはじめに舞台装置などの30分程度の解説等があり、その後ほぼ1時間少しの上演となる。演目は福内鬼外の丸本物(義太夫狂言)であるが、福内鬼外とはエレキテルで有名な平賀源内ペンネームであるとのこと。活躍の幅が発明から義太夫までと、その多様ぶりが伺われる。

筋については、あらかじめ解説やパンフレットで確認していたので、また、左右に義太夫のせりふが電光掲示板で表示されるため、いつもは使うイヤホンガイドがなくてもほぼ追うことができた。大体以下のとおり。

矢口の渡(今の多摩川の)渡し守である頓兵衛の娘、お舟が主人公である。新田義峰とその連れのうてなが日暮れ時に矢口の渡しにたどり着き、頓兵衛の家に一夜の宿を乞うが、応対したお舟は新田義峰に一目ぼれしてしまう。お舟は、新田の残党を討とうとしている強欲な父頓兵衛の刃から義峰を逃がすため、身代わりとなり、自分が父頓兵衛から刺されてしまう。

死にゆく間際、お舟は渡し場で、義峰への追っ手はもう不要であることを意味する櫓の太鼓を打ち鳴らす。

すると、これに合わせ、頓兵衛の企みによりこの矢口の渡しで謀殺された新田義興(義峰の兄)の亡霊がさかまく波の上にあらわれ、その義興は義峰が盗まれたはずの「水破兵破(すいはひょうは)の矢」を放ち、頓兵衛は首を撃ちぬかれ、息絶えるという筋書きである。

主人公であるお舟(片岡孝太郎)については、少し滑稽味がある演技で、何となくストーリーと比べ違和感のようなものがあった。一方、渡し守頓兵衛(片岡市蔵)は欲の怨念のようなものを十分感じさせる演技であり好演だった。

心に残る場面としては、やはり最後の、お舟が櫓の太鼓をたたき、亡霊の義興が波上に立ちはだかり、頓兵衛が撃ちぬかれている姿がもっとも印象的であり、ここでは回り舞台も効果的に使われていた。

客席からの掛け声は、上手の方からタイミング、足並みよい掛け声が飛んでいたが、近くでは、拍子抜けするような掛け声が「飛んで」おりがっかりだった。

さて、上演前の「鑑賞教室」では、最初に一通り歌舞伎の舞台や効果音などについて説明が義峰役の坂東亀寿からあり、その後客席から2名の女性が実際に効果音の出し方や女形の所作、舞台装置(駕籠、舟)を体験するという流れだった。内容は以下のとおり。

・回り舞台、セリ、スッポン(幽霊など)

・花道:自由に使える空間

・向かって右が上手、左が下手

・上手に御簾:義太夫(音楽入りのナレーションのようなもの)

・下手に黒御簾(効果音、歌・三味線による)

・大太鼓:雪の音、忍びこむ音など

おしまいに、神霊とは新田義興の亡霊を意味し、実際に存在する新田神社でまつられているとの説明があった。

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2008.07.06追記

日経新聞に源内の文章力に関する記述があったので紹介する。

「源内の文章力も世の評判が高かった。『神霊矢口渡』は最初に江戸弁で書かれた浄瑠璃だったし、舞台も多摩川だ。初稿で、この道順では多摩川の矢口の渡しを通らないとダメが出されると、源内は即座に筆をとり、さらさらと「六郷は近き世よりの渡しにて、その水上は弓と弦、矢口の渡しにさしかかり」と書き直したという話が伝わっている。」

ここでは、このほか讃岐高松藩を脱藩してより「源内張り」と言われるような社会風刺の文章をつづり続けたこと、安永8年(1779)につまらない争いごとから人を殺傷してとらえられ、獄中で死んだことなどが記されていた。

野口武彦「源内の家庭教師」より)