「近代歴史学と世界史」(UTokyo OpenCourseWare 学術俯瞰講義)【「世界史」の世界史 第2回】東京大学東洋文化研究所 羽田 正

■内容

1.過去と現代における過去の見方

  • 聖書:これは、当時の人々の歴史観を表している。世界は神が作ったものであり、そしてその意思に基づいて破滅を迎える。300年前はそう考えられていた。コーランもまったく同じ認識に基づいており、当時の人々の考え方の基礎をなしている。
  • 私たちの時代には、独自の過去の見方=近代歴史学がある、それは歴史学者が一致の手法に従った整理解釈した過去の姿である。

2.近代歴史学の成立と特徴

  • 19世紀のフランス・ドイツにおいて近代歴史学が成立した。これまで絶対と思われていた聖書を相対的・批判的に見る態度が生まれた。
  • 近代歴史学は、啓蒙思想と理性の重視、人類は進歩するという考え方に拠って成立している。(ランケ(1795-1886)近代歴史学の父、ヨーロッパ中心の歴史観、ヨーロッパのみが進歩し、他の世界は「停滞」している。ミシュレ(1798-1874)、フランスという国民国家の歴史を初めて叙述。)
  • 近代歴史学は、国の単位で考える、厳密な史料批判により過去を「あるがままに」とらえる、進歩の尺度(文明、未開、野蛮)で考える。国の単位で考える、ということは、国への帰属意識を高めることにもつながる。
  • 文系の学問はそれぞれ似たような背景を持っている、法学、哲学、神学など過去から存在する学問、政治学、経済学、社会学など進歩し、普遍性を持った社会を理解する学問、非ヨーロッパを理解する東洋学、人類学。

3.近代歴史学の日本への導入

  • 19世紀になり、ヨーロッパが世界進出し、非ヨーロッパ地域において「近代化」への取り組みが始まる。(政治・社会制度、科学技術、学問)
  • ヨーロッパの模倣により非ヨーロッパ地域の近代化が始まるが、近代化にはその国にそうした考え方を受け入れる素地があったからこそ取り入れることができた。
  • 日本の歴史叙述は、『日本書紀』から『大日本史』の伝統があり、文献考証と国家史をすでに行っており、近代歴史学を比較的柔軟に取り入れることができた。
  • 東京帝国大学に史学科が生まれる(1887)が、ここで教えられていたのはランケ門下のルードビッヒ・リースによるヨーロッパ史。二年後には国史科ができる。日露戦争に勝利後に、東洋史を日本が東洋のリーダーとして存在する必要から学科が設置され、国家プロジェクトとして研究していくこととなった。
  • その後、この日本史、東洋史、西洋史の学科区分はそのまま引き継がれ、世界史は生まれなかった。
  • 世界史は、マルクス主義歴史学の前提としては意識されるようになった。しかし、ヨーロッパを最先進地域として認め、アジアを見るという偏った見方になりがちだった。
  • 中等教育では、日本史と世界史に分けられ、文明や各国の歴史を束ねたものが世界史ということになった。

■感想

  • 例えば、熱心な宗教信者について冷ややかに見るわれわれも近代に特有な思考の枠組みに「とらわれて」おり、それをすべての思考の出発点にしているところで、あまり変わりはないのだと言える。
  • いかに今まで作られた考え方の枠組みというものに安住しているか、ということを感じさせられる。人間は枠組みの動物であり、枠組みの多くは与えられたものに過ぎない、ということが分かる。
  • 経済学について、例えば「後進地域」の理解には役に立っていない、また研究対象にすらしていないということもそのとおり。

■講義動画

近代歴史学と世界史 Modern History and World History | UTokyo OpenCourseWare

■参考文献

歴史学入門 (岩波テキストブックスα)

歴史学入門 (岩波テキストブックスα)

新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)

新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)