映画『Beauty-うつくしいもの』監督:後藤俊夫、2008年

この作品は、信州伊那谷の農村に生まれた子どもたちが、村に伝わる歌舞伎を演じることを通じて育ち、そして戦争で引き裂かれていくありさまを描いている。

主人公の半次(片岡孝太郎)は木地師の孫で、母親を早くに亡くし、祖父の仕事を手伝いながら二人きりで暮らしている。彼は、村の鎮守の大樹を母親代わりに育った。

半次は、あるとき祖父に連れられて村歌舞伎の見物に訪れる。その舞台では、半次と同い年の友達雪夫(片岡愛之助)が、担い手の一人として狂言を演じていた。雪夫は、半次が強く歌舞伎に惹かれていることを感じ、「歌舞伎はどんなものにでも化けることができる、ぜひ一緒に演じてみないか」と誘う。

半次は、誘いを嬉しく思いながらも、自分は木地師の孫であり代々裏方を務める立場であるため舞台には上がることができない、と踏み切れない。雪夫は祖父にも直談判するが、木地師でなら食っていけるが歌舞伎では無理だ、17歳になるまでは木地師の修行だけさせたい、と伝えられる。しかしその祖父も、最後は雪夫の熱意にほだされて赦し、半次は村歌舞伎の一員に参加することとなった。

f:id:alpha_c:20120613233042j:image:W260:left半次が初めての演じることとなった狂言は「新口村」、幼馴染みの歌子(麻生久美子)が主役の梅川を演じる予定だったがはしかにかかり、急きょ代役として指名された。半次は雪夫の力も得て懸命に練習して舞台に臨み、女形として梅川を見事に演じ、喝采を浴びる。

歌舞伎を演じながら平和な生活を送っていた彼らだったが、戦時下であり、ついには否応なく兵として召集され、仲間ともども大陸へと送られることとなる。半次、雪夫そして政男は、出征前最後の歌舞伎として「絵本太功記」を演じ、その姿は村の人々の涙を誘う。

赴いた戦地では、死こそ免れたがシベリアへ抑留され、強制労働に従事させられる。ふるさとへの帰還を待ち焦がれるが、最後の歌舞伎で武智光秀役を務めた政男は過酷な労働と栄養不足で衰弱し、肺炎に斃れる。また、雪夫も同じように肺病にかかり、満州従軍時の怪我で眼も衰えるなか強制隔離されてしまう。半次は、希望を持てない強制労働の数年後、ようやく日本への復員の願いがかない、複雑な思いで日本への帰還を果たす。

帰り着いた懐かしい村では、たった一人の肉親である祖父がすでに亡くなっていた。そして、懐かしい歌舞伎も絶えていた。彼は、雪夫の「半ちゃん、国へ帰ったら俺の分まで踊ってくれよな」という言葉を思い、製材の仕事をしながら歌子と協力してその再興につとめる。子どもたちを指導しながら、自分は女形から立ち役に代わり、この夢を実現させる。

そんな彼が数年後、自分の村だけに伝わっているはずの歌舞伎演目「六千両」が違う村で演じられている場面に遭遇する。

f:id:alpha_c:20120613233041j:image:leftこの映画では、まずもって信州伊那谷の村の情景の美しさに心が奪われる。高い木々の梢を渡る風の音、寒い朝の情景、子どもや親たちの表情、こうしたそれぞれの場面に深く日本らしさを感じることができる。



そして、「神霊矢口渡」など数々の名作が、村の小さな舞台でも心を込めて演じられ、人の心を打つ作品に形づくられている。村歌舞伎は観客との距離が近く、どちらかというと「かしこまって」見る大歌舞伎と違い、親しみをもって楽しみながら見ることができる。

f:id:alpha_c:20120613233040j:image:leftまた、これをきちんとした形で伝承するひとびとの一生懸命さも伝わってくる。台詞の言い回し、舞の所作、村の歌舞伎であってもそれを正統な形で再現できるよう指導する大人や先輩たち。



人がたんに「生きる」だけではなく、その生きる様や感情の動きを、芝居という形に昇華し、そして楽しみつつ演じ、観客もそれぞれに感じ入ったり懐かしんだりする、そんな場を過ごすことの素晴らしさを認識させてくれる映画だった。