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METライブビューイング『椿姫』メトロポリタン歌劇場

f:id:alpha_c:20120512233530j:image:left今回のMETの椿姫は演出が一風変わっている。ミラノ・スカラ座で使われるような、貴族のサロンやパリのアパルトマンなどを再現する伝統的な舞台装置は用いず、ぐるりと囲む高さ数メートルのコンクリートの壁と大きな時計、そしてソファーが舞台装置のすべて。閉塞的な監視社会を象徴しているようにも思われた。華麗な衣装もなく、ヴィオレッタ(ナタリー・デセイ)は赤い袖無しのワンピース、サロンの客たちもタキシードではなくスーツを身にまとっている。

舞台装置から虚飾を廃して無機質な空間を作り上げ、客たちに男色を思わせる仮面をかぶらせてみたり、あるいは男性に女性の衣装を身にまとわせてみたり、とひたすら怪しげな雰囲気を作っている。

前衛的な演出で、これはこれで興味深く観ることができたが、歌劇としての盛り上がりを見せる第一幕以降は、舞台装置が無機質であるだけに、とりわけ初見に近い観客たちはどちらかというと間延びした感覚で観ざるを得なかったのではないか。オペラはどうしても歌だけではなく芝居でもあるので、説明的な部分を切り捨ててしまうと、歌劇の全体としては成立しがたい印象をもった。

f:id:alpha_c:20120512233527j:image:leftカーテンコールでの観客の拍手はとりわけ父親のジェルモンをつとめたディミトリ・ホヴォロストフスキーに寄せられていたが、プロレスラーのような体躯で生気溌剌たる感覚がどうも馴染めなかった。アルフレード役のマシュー・ポレンザーニについては、第一幕は弱音部の歌い方などよく見えたが、それ以降は見せ場に欠けたように思われた。ナタリー・デセイは歌い手としてやはり一番の存在感を見せたが、幕間のインタビューで自ら言っていたようにヴィオレッタを歌い手としてそれほどこなしている訳ではないようで、「図抜けた」という印象は持てなかった。

この舞台で役者として独特の存在感を見せたのは、とくに声を発することなく冷徹にやり取りをながめているだけの老賢者といういでたちの男である。第三幕、ヴィオレッタが結核で最期を迎えるときに、医師という役柄で初めて声を発するが、その存在は、一人の人間というより、人間の所業を慈悲深く見つめる神のような存在として表現されていた。