『メタボリズムの未来都市展』森美術館

f:id:alpha_c:20120110221559j:image:w240:leftメタボリズムとは「新陳代謝」を意味する。1960年代に都市形成のモデルとして大きな潮流をなした考え方で、都市は求められる機能に応じてその形態を変えていくべきであるという発想が礎にある。


ここで気鋭の建築家たち(丹下健三に強い影響を受けた、黒川紀章菊竹清訓槇文彦など)が構想したメタボリズム都市とはまぎれもなく「未来都市」であり、少年の時分図鑑や特撮映画の世界で見ていたタイプのものだった。ただ、現実として、メタボリズムの考え方は「個々の建築」として結晶したことはあっても「都市の全体構造」としては大阪万博など一部の事例を除き実現したとは言いがたい。

f:id:alpha_c:20120110221614j:image:w240:left建築の世界のこうした構想は、民間の自発的試みではなく莫大な資本を投下できる公共事業によってのみ生み出せる(ピラミッドや万里の長城などこれまでの歴史的大建築を見るとおり)。だが、われわれの末期資本主義社会はこうした都市を作ろうとする意志や力を残しておらず、いわば「夢」である。

f:id:alpha_c:20120109212902j:image:w240:leftしかし、実現の可能性はさておき、こうした都市での暮らしを思い浮かべてみよう。それだけで、何かまったく違う意識構造へとシフトする自分をイメージできないだろうか。都市=構築物群を生み出す営為が、そこに存在する人間そのものを変質するような力を持ち始める。

例えば自然界のフラクタル構造などを建築物へ応用することは、それを見る人間の発想自体を変えていく可能性を持っている。

f:id:alpha_c:20110817184007j:image:w240:left都市に機能的な新陳代謝を繰り返す構造を持たせることは、都市自体をあたかも生き物として考えることだ。しかし「メタボリズム」という言葉を持ち出すまでもなく、本来都市は、求められる機能や住み、通う人々に合わせてその形態を変えていくものである。この新陳代謝の結果、都市が泥のようにスラム化して崩れ去るのではなく、構造的な美に昇華させていくという思想的営為としてのメタボリズムは、建築家の挑戦であるといえる。

われわれ高度成長期の少年少女はこうした未来都市を図鑑や特撮で見て、将来に対する熱い思いを抱いていた。現実離れしているかもしれないが、そんな世界を提示できたというのは伸び続ける時代の力だったのだろうか。