プロフェッショナル 仕事の流儀「“夢の医療”に挑む~再生医療・岡野光夫~」

<途中から>自分が暗闇の中に入って戻れなくなるような気分に襲われることが研究者にはある。そんなときは原点に戻ることである。

最初は人工細胞がボロボロになってしまったが、実験を改めてやり直したところ、ようやく人工細胞に血管の生成を確認することができた。

岡野さんは早稲田大学理工学部の大学院を高分子化学で卒業したが、そのまま医学部で研究を始める。しかし、輪転機の後ろにしか自分の居場所がない状態であった。ユタ大学で新技術に取り組み始めた。そして准教授への道が開かれるが、日本で医学と工学の橋渡しをする仕事に誘われる。そして再生医療の研究を始めることとなった。

そして2年後に細胞シートの生成に成功するが、新しい技術であり、医師や企業も手を結んでもらえなかった。「最後までやり通しなさい」という母の言葉を胸に実験を続けていった。結果として若い研究者が岡野さんの周りに集まり始める。

13年後の2002年、角膜の生成に成功し、世界の医学界を驚かせた。第一人者として道なき道を行くことが重要であると考えている。

スウェーデンのカロリンスカ医科大学と手を結び、共同研究を始めることとなった。食道がんの新しい治療法である。現在の治療法では、患部を焼くため、事後の狭窄が起きてしまう。ここに細胞シートを貼ることで対応する。日本では国に申請してから時間がかかるため、ヨーロッパでこれを行うこととした。しかし、ヨーロッパでは日本のように内視鏡による治療が普及していない。逆に相手方からはバレット食道の治療に共同研究をしたいと持ちかけられたが、焼いた細胞の上に細胞シートを貼り付けても意味がないためこれに乗ることはできない。交渉は4時間かかり、行き詰った。同行した医師たちは共同研究は難しいと考え始めた。しかし、岡野は諦めず、場所を変えてもう一度交渉を始めた。そして患部を焼くのではなく内視鏡で治療した上でシートを使うということが逆提案された。これをまた研究するには途方もなく時間がかかる。「苦しい道こそ未来への道」と信じ、やることとした。やれるからやるのではなく、やらなくてはならないことがある。交渉は一気に進み始め、共同研究することが決まった。そして岡野は日本に戻り、医療者を集めて取り組む体制を作った。

プロフェショナルとは、自分の知識を総動員し未来の課題に立ち向かえる人だと思っている。