ハートをつなごう「働くことがツライです(1)心のエネルギーが切れた時」

立花さんは、ファストフードレストランの店長として6時から24時まで働くような過酷な条件であった。そんな中で60kgあった体重も48kgに落ち、同僚も倒れるなかで8月に辞めることとした。

(立花さん)子どもも小さいのでストレスを家で発散したくはなかった。風邪を引いても出社する。携帯電話の呼び出しが幻聴で聞こえる。

産業カウンセラー 大槻久美子)仕事はやらなければならないものであるが、これを自分なりにやりがいを見出すことで前向きに取り組めるようになる。

今は正社員ではないが週休二日が保証されている。

マモルさん(34歳)はシステムエンジニアであり7年間働いたが、過酷な条件であった。国立大学大学院を卒業して恵まれた就職であったが、就職した翌年ITバブルが崩壊し、大規模なリストラが行われた。転職する同僚もいたが、自分のキャリアが浅かったことや勇気もなく、会社にとどまることとした。不採算部門のリーダーを任され、ほかはみな派遣社員であった。強い責任感を感じて深夜まで働いたが業績は伸びず気が狂いそうになった。厳しい納期の仕事も引き受けたものの間に合わず、上司から厳しい叱責を受けた。持病の皮膚炎が悪化した。毎日バイクで通勤していたが、死にたいという気持ちがわくようになり、誰かに引いてもらおうとした。『ブラック会社に勤めてるんだがもう俺は限界かもしれない』という本を読み、多くのシステムエンジニアデスマーチ(死の行進)をせざるをえない現状を知った。まさに自分と同じだと思い、退職した。現在退職して一年になり、就職先を探している。

(大槻)自分が本当におかしくなった段階でようやく分かる。すぐに対処はできない状態になる。

首都圏青年ユニオン書記長 河添誠)他の会社での働き方が見えると、自分のおかしさが分かる。