クローズアップ現代「“断捨離” 人生の大そうじをする人々」

「断捨離」という言葉がある。なかなかモノを捨てることのできない人がいるが、たんなる片付け術ではなく、片付ける過程でさまざまなものを見出すことを意味している。

寝室になるはずだった七畳間が「魔界」になっている主婦。勢いで買ってしまったものであふれ足の踏み場もない。通信販売で買った「電気天ぷら機」、七割引で買った子供服、まったく使っていない。片付け術の本も買ったが片付けようという気にならない。この部屋が夫婦喧嘩のもとになっている。

断捨離は、単なる片づけ術ではなく、本当にそれが自分に必要なのかを見つめ直すことである。

多忙なシステムエンジニア、かつては書類で埋め尽くされた部屋を、断捨離に出会って処分し、すっきりとした。パソコンのアイコンもファイルも捨てる。メールやツイッターのつきあいもほどほどにする。

魔界」部屋も片付ける。いらないものを捨て、リサイクルもする。独身時代は、今より17キロもやせておりいろいろなことに精力的に活動していた。専業主婦になってからはよい妻よい母を目指してきたが、子育てにも充実感がなくもやもやばかり大きくなっていった。「魔界」部屋は自分自身であるということに気がついた。捨てる過程でとうとう19袋もごみが出た。しかし、すっきりした部屋のおかげで家族の関係も回復した。

宗教学者 釈徹宗現代社会は、成長を是とする社会である。しかし、自分が大きくなれば現実とのギャップに苦しむ。もっと自分にあった場所がある、と悩んでしまう。こうあるべきだ、という像にも苦しむ。一度自分を点検して整える。それにより新しい扉も開く。手に入れて捨てるのではなく、入ってくるものを止めることによっても効果が期待できる。

両親の残したものを片付けることもある。母を看取り、両親のいなくなった家を片付けることとなった50代女性、皿が50人分もある。大量の遺品を断捨離の力で処分した。捨てるという具体的行動が何より大事であると考えている。

父が大切にしていた大量のアルバム、札所めぐりの写真である。処分するのがかわいそうだが、思い切って処分することとした。天袋からは自分が学生のころ母親に贈った首飾り、感慨深いがやはり処分することにした。昭和29年の母子手帳が出てきた。命名も出てきた。捨てる過程で両親の自分への愛情に気がついた。

父親が大切にしていたすずり箱、ここに選んだ父親の撮った写真と母子手帳、命名を保存した。これによりようやく次の人生を歩いていけると思えるようになった。

(釈)モノには内面が投影されている。遺品は大変扱いにくいものでもある。しかし、整理することにより対話がはじめて成立した。50代後半からの断捨離は、老い、病、自分の死も見つめ一歩を踏み出すという意味もある。已む無くではなく、自分が主体的に捨てるということに意味がある。