知る楽 歴史は眠らない ニッポン 母の肖像<終>第4回▽“三歳児神話”の呪縛

オイルショックにより母親が働きに出るようになった。そして保育所の増設が必要になった。

しかし、国はまったく逆に子どもや高齢者の基盤として母親の役割を重視するようになった。国は保育所を減らし、乳幼児予算の削減を行った。

保育所に預けようとしても福祉事務所から断られるということが多かった。

1980年代になっても三歳児神話は大きく影響を与える。子どもを生むなら仕事をやめる、仕事を続けるのであれば子どもは生まないという女性の選択につながっていった。日本特有の労働力のM字カーブは温存され続けた。一方、働く母親には大きな負担がかかっていった。

合計特殊出生率が問題にされ始めたこのころから、育児不安を感じる母親が多くなっていった。育児放棄なども見られ始めた。

1990年代の終わり、政府は厚生白書で三歳児神話を否定した。母親は子育てに専念すべきという考え方は戦後数十年で定着したに過ぎないこと、また、子どもにとって母親との密着が必要であることについては合理的な根拠は得られない、ということを記載した。

しかし、今でも三歳児神話は母親の心に暗い影を落としている。

(母親)子どもと二人でいると煮詰まってしまう。

(母親)小さく生まれたので外に出したくなかったが、人と接することで考え方も変わってきた。

父親の新しい潮流も始まっている。父親が育児にかかわるようになってきている。夜に子育てに関する父親の役割を学ぶ研修会も開かれている。

父親)働き方を見直していきたい。

明治以降子育ては母親にゆだねられ、現在に至っている。しかし、これからは地域で共同でネットワークを作って行っていくべきではないか。