NHKスペシャル「862兆円 借金はこうして膨らんだ」

・日本は先進国でも最大の借金国である。平成22年度の国家予算は税収が37兆円で、歳出が92兆円、この差を借金で埋めている。そしてこれまでの累積で国債の残高は現在862兆円、一人当たり700万円に上る。この借金をいつまで続けられるのか。今後、こうした借金を少なくしていくためには、税金を増やす(歳入増)か行政サービスを切り詰める(歳出減)かしなくてはならないことが懸念される。

・この借金が膨れ上がる過程で官僚は何を考えていたのか。大蔵官僚が退職後に述懐した『財政史口述資料』という官僚たちの本音を記した資料が財務省に保管されている。この資料からは、官僚たちがもがきながら挫折を繰り返していた状況が伝わってくる。

・国の借金には赤字国債建設国債がある。国の歳入の赤字分を埋めるための赤字国債は法律では認められていない存在である。毎年法律を作ってその発行を行っている。赤字国債を初めて発行したのは昭和40年度であり、その後日本の財政は借金漬けとなっていった。

・初めての赤字国債を発行した昭和42~43年度の谷村事務次官は、東京五輪後の不況を乗り切るためにこれを行った。赤字国債の発行は一度限り、麻薬にならないように、という心づもりであった。

・しかし、列島改造論を引っさげて登場した田中角栄は、公共事業のイメージが強いが、他方で社会福祉を拡充した。老人医療費の無料化や、年金の増額で一気に社会保障費を3割増やしたのである。しかし、このときにつくった社会保障の制度は大蔵官僚を悩ませ続けることになる。

・当時の財政運営においては「税収は右肩上がり」という暗黙の了解があった。しかし、オイルショックで急激に成長は終了することとなる。これを受けて大蔵省は建設関係の予算を抑えた。しかし、社会保障費は、事業ではなく制度であるため増え続けた。

・昭和50年には2兆円の国債が発行された。一度限りという赤字国債がここから噴出していくこととなる。それは昭和51年には5兆円、昭和52年には10兆円となっていった。

・昭和53年、大蔵官僚出身の福田内閣では借金11兆円の超大型予算を組んだ。各省へどんどん要求を持ってくるよう伝達した。こういうときは無理をしなければならないという雰囲気だった。

・一方、諸外国との関係では、当時のボンサミットで、日本が世界経済のけん引役になってもらわないと困る、経済成長率(4%の成長であったにもかかわらず)7%を目指せという各国からの要求が寄せられることとなった。

・しかし、すでに日本の経済は成熟したのである。財政による刺激はほとんどなかったにもかかわらず、これをきちんと認識せず、景気対策社会保障が行われた。

・後の世代にツケを残すことがわかっていたにもかかわらず借金を重ね続けた。歳出カットは難しく、消費税を代表とする歳入確保策がとられた。しかし、借金は増え続けた。

・昭和53年、天才といわれた大倉事務次官は、大平総理大臣に消費税の導入を持ちかけた。ヨーロッパの消費税制度の勉強会が行われた。柳澤伯夫いわく、消費税は悪魔の納税、みなが正しく申告しなければならないという税制であった。

・昭和54年の秋、大平首相は衆議院を解散、消費税の導入を訴えた。歳出を抑えたにもかかわらず、世論の反発により大平政権は倒れた。

・その後も借金は増え続ける。ようやく消費税が制度化される。また、追い風としてバブル景気があり、平成2~5年は赤字国債0で乗り切れた。

・しかし、平成6年にまた赤字国債を発行することになる。大蔵省は、国内政治からの圧力、またアメリカからの圧力に抗しきれなかった。

・大物次官の斎藤(平成5~7年)、自分の世代で赤字国債は出さないと意気込んでいた。しかし、貿易摩擦が強まり、クリントン政権から日本がアメリカ製品をもっと買うように減税してほしいとの要求が突き付けられた。(当時細川政権

自民党であれば、大蔵省の考えを咀嚼したうえで政策化するが、細川政権ではそれができなかった。小沢氏と連携して、国民福祉税(7%)を制度化し消費税を廃止するという案で強硬突破を図った。しかし、これは一日で撤回され、減税だけが残った。

・現在、歳出の削減に光が当たっているが、何が無駄なのかを明らかにすること自体が難しい。今では、赤字国債にまったくタガがはめられなくなっている。

・平成10~12年で景気対策として借金は100兆円増えた。なぜタガがはめられなくなったのか。当時の田波事務次官は、それだけ景気が深刻な状況であると言っている。

・平成9年、橋本内閣は財政構造改革会議で大幅に歳出を削減しようとした。与謝野衆院議員は、政治主導でこれを行うこととした。当時の小村事務次官は大蔵省としての動きが封じられたと考えている。また大蔵省は、接待や天下りで表舞台には立ちにくくなった。

・消費税が5%に引き上げられた。しかしバブルのツケである不良債権問題が火を吹き、手がつけられなくなってしまった。小村次官もこれほどのことになるとは思っていなかった。大蔵省の発言力は大幅に低下する。

・小渕政権では宮沢大蔵大臣が巨大な景気対策予算を組んだ。政治判断に対し、尊重せざるを得ないという雰囲気であった。また、連立政権の時代は、各党の主張が取り入れられ、その分歳出は拡大した。

バブル崩壊から今日に至るまでの景気の低迷に対し、大蔵省は力を発揮することができなかった。

・借金をしてでも公共事業や社会保障を増やしていったのは国民の要求でもあった。一方、現在これまでの成長を支えた力は失われてきている。必要なのはこれまでの経緯を踏まえ、この国の形を考え直すことではないか。