ETV特集「なぜ希望は消えた?~あるコメ農家と霞が関の半世紀~」

・なぜ農業政策は失敗し、耕作放棄地の増加、自立した農業にできなかったのか、農民や官僚の証言を聞く。

・農業基本法は、日本農業の指針であり、大規模農業への移行を旗印とした。この目標は、都市の三分の一に過ぎない所得を大規模化により増加させようとするものであった。

・農家でもこの法律に基づき、様々な取り組みがなされた。農民もアメリカを視察し、その取り組みなども参考にしている。

・総出で耕地整備を行い、大規模化、機械化に備え、農道を整備し、不ぞろいな農地を整地し碁盤の目のようになった。

・しかし、整備しても大規模化はできなかった。だれも耕地を売ってくれず、集落の外れにしか農地を確保できなかった。また売ってくれたとしても高かった。収入確保のため養豚を行っても、他の農家も右にならったため、収入がはいらなかった。

霞が関では、この状況をいち早く察知していた。基本法成立直後(昭和36年)、河野一郎が農林大臣として入ってきて、なぜこんな法律を作ったのか叱責された。河野は農家であり、だれも農地を売らないだろうことを知っていた。それを外でも言ったため、官僚は困り果てた。

・GHQによる農地改革は、地主の土地を細分化した。この10年のちの基本法は、この農地改革と相反するものだった。また農家の収入が都市に匹敵するようになるのは2.65ヘクタール、これを実現するには半数の農家が離農しなければならない。農林水産省では、挙家離農の増加によりこれを実現できると踏んでいた。しかし挙家離農は起きなかった。長男や両親は家に残ったのである。

・また農地を宅地に転用する者も現れた。これは農地法で制限されているが、流れを止められなかった。転用すれば農業では考えられない収入が得られる。

・国は昭和43年に都市計画を定めるよう通知し、市街化調整区域を設けるようにした。

・陳情により市街化区域に整備した耕地を編入し、届け出だけで宅地に転用できるようにした事例もあった。

霞が関での法律立案の段階で、農村の実情を理解せず、非現実的な理想に走ってしまった。

・規模拡大を目指した農家もあった。しかし、そんなときコメ余りという現実を迎えた。人々の食生活の洋風化が進み、国の倉庫に米があふれた。

・1970年に国は減反の方針を決めた。最初は一割の減反、そして最終的に三割の減反が割り当てられた。

霞が関の現場では、減反は臨時措置であり、継続的に行うものとは考えていなかった。

・またコメ余りはその前から予想されていたが打つ手はなかった。何を作るのかも決まっていなかった。

・米価審議会会場に全国の農家が押し寄せた。食糧庁長官は、米が余っているのに米価を上げるのはおかしいと考えたが、米価闘争により米価格は上がり、農家は米を作り続け、農家の数は減らなかった。

・食糧庁長官、農家の選別をやるべきだった。やる気のある農家を増やし、自己責任をまっとうさせるべきだった。しかし、選挙による政治としては難しかった。

・農家もあのとき何をしていれば、というのは分からない。

・米価の上昇はストップした。

・他の仕事はしても、農地だけは持っておく、という形になった。挙家離農は起きなかった。農家は土地を売ってマンション、アパートを所有して大きな収入を得ている。

・1986年に日米貿易摩擦を受けて、米の輸入について圧力がかかった。これを受け、農水省は、市場原理を導入し、これを勝ち抜く力のある農家に補助するという形である。ここで規模を10~20haと試算した。

・一方で耕作放棄地が増えた。土建業者の資材置き場になったりしている。これは法律違反であるが止められない。

農地法では、耕作者主義をとっている。しかし、農家が耕すことをやめることを想定していなかった。これに対する規定はない。

農地法の抜本見直しを農林水産省企画室はもくろんだ。企業も参入できる枠組を考えた。これは耕作者主義の緩和という大転換である。平成3年に農地法を所管する農政課と議論した。農政課は農地法に問題があるのではなく、農業の魅力がないためだとした。農政課は、農地法を緩和すると、さらに耕作放棄地が増えると考えた。戦前のような土地の支配が企業によって行われるのではないかと考えた。

・新聞にこの法改正の方向性が意図的にリークされ、その内容があまりに刺激的で「所有」にまで踏み込んだものになっており、逆に企画室の動きは完全に封じられることとなった。

・ここ数年耕作放棄が深刻になってきて、結局18年後の平成21年に農地法は改正された。しかし、すでに農地の一割が耕作放棄されてしまっている。挙家離農も農地法緩和も頓挫し、かつてはみんなが欲しがった農地が今では見向きもされなくなった。買い手がなく売り手ばかりで契約が成立しない。昔は財産だったが、後継者がなく、田んぼを売り始めた。高齢者の農地をやむにやまれず引き取ってそれが規模拡大となっている。

・いつの時代も農家は繁栄に取り残されない道を探した。そして、その道は、農業からの撤退の道だった。

・農業から撤退しつつある農家をどう引き止めるのか。昨年、民主党政権は農家の戸別所得補償制度を導入した。0.1haあたり1万5千円、規模が大きければ大きいほど収入も大きくなる。総額5,600億円の補助金、これが本当に農業の魅力を高め、再生の出発点となるのか。今後誰が農業を担っていくのか、今、日本の農家を担った最後の人々が大量に退場しようとしている。

■コメント

・この番組は面白かった。農水官僚は、経済学的な考え方に基づき農村を大規模化する構想を策定した。しかし、実態としての個別農家の動きはことごとく構想とは別の方向に動いた。そして現在、転用や耕作放棄により農村はかなりの程度衰退してしまった。

・法制度や基本方針を策定・実行するのは本当に力と時間のいる仕事である。しかし、結果としては金と時間を浪費してまったく違う方向へ向かってしまう。

・人間の一生は限られており長期の視点で行動するわけではない。小学校やスーパーマーケットへの土地の売却、アパート経営などの不動産投資など、まさに自分達が生き残るために与えられた諸条件を「利用」するのだ。