歌舞伎『京鹿子娘道成寺・佐倉義民伝』歌舞伎座

京鹿子娘道成寺

この作品ほどよく上演されるものもないが、もともとは女方の舞踊であり、今回の上演のように坂東三津五郎のような立役が勤めるのは珍しいということになる。振付も坂東風で道行の浄瑠璃常磐津を用いるという独特のものである。

物語としては、修行僧安珍との恋を一方的に解消された清姫が嫉妬に狂い、逃れようとして道成寺の釣鐘に身を隠す安珍を、大蛇の姿になって釣鐘にまきつき、釣鐘もろとも安珍を焼き殺すとともに自分も息絶えるという前段となる話がある。この数年後の春に桜が満開の道成寺で釣鐘が新造され、鐘供養を行うこととなるが、この辺りに住むという花子という白拍子がやってきて釣鐘を拝みたいとやってくる。道成寺は本来女人禁制であるが、奉納の舞を舞うのであればという条件で入山が許される。花子は、最初厳かな舞いを、次いで鞠をつく舞い、諸国の廓の様子の舞い、かっ鼓や鈴太鼓を使った舞いを踊ってみせる。ところがにわかに表情が険しくなり、素早く鐘の傍にかけよるとその中に飛び込み、蛇体の本性を顕にする。花子は実は清姫の亡霊だったという話である。

立役による娘道成寺、という違いまではわからなかったけれど、非常にのどやかな舞台である。それが、最後の鐘につかまるシーンで、差し迫った怨念のようなものを感じさせる。他の版では、「押戻し」という、鐘に飛び込んだ花子を引き戻す荒事の演出を行うこともあるが、さらに怨念の大きさを感じさせるものとなるのであろう。この作品は、安珍清姫の物語を踏まえ、いずれ怨念の塊である花子が正体をあらわすという不安感の中、最初厳かに、だんだんと技巧をこらしていく舞踊を楽しめるところが魅力と思われた。

『佐倉義民伝』

この物語は、主人公の木内宗吾が堀田家の暴政に苦しむ人のために、四代将軍徳川家綱に直訴するものである。異色な、農民を主人公とする作品であり、しかも一揆・直訴などがテーマとなることから、幕府からも注意を受け、内容が変更された場面もあったようだ。

とりわけ、印旛沼渡し小屋の場における渡し守甚兵衛とのやり取り、宗吾の家の裏手での断腸の思いで家族と分かれるところなど、観るものも感情を抑えられなくなるような場面であり、「劇場こぞりて泣きにけり」といった状態だった。

一方第二幕東叡山直訴の場は、浅黄幕が切って落とされると青空を背景とした紅葉と朱塗りの橋が現れ、それだけで観客の喝采となる目にも鮮やかな情景である。ここで松平伊豆守を筆頭老中に、徳川家綱が現れる。宗吾は「恐れながら上様に直訴」と訴え、伊豆守は直訴を取り上げることはできないといいつつ、包み紙のみを捨て、訴状は懐中にする。

とりわけ宗吾役の幸四郎の演技は見事というより他なく、松平伊豆守役弥十郎の「知恵出ずる守」としての演技も素晴らしかった。これまでの公演記録を見ると数年に一度しか公演されていないようであり、たしかに正統派の歌舞伎とは少し異質の内容であるが、自分にとっては今年一番の作品であったと思われた。

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