歌舞伎『義経千本桜(河連法眼館の場)』国立劇場

先月に引き続き再度「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」に参加した。通称「四の切」と言われるこの場のストーリーは以下の通り。

義経は、兄頼朝に追われ都落ちし、吉野山の河連法眼の館に匿われている。しかし、その河連法眼もいつまで義経を匿いきれるか難しい状況である。

そんな義経のもとに家臣である佐藤忠信が駆け付け久々の再会を果たす。義経は、静御前をこれまで護ってくれたことを忠信に感謝するが、忠信は静御前について護衛を自分に託された覚えはないといい、義経は怒って忠信を取り調べるよう命じる。

そこに静御前があらわれ、忠信の護衛のもと到着したことを報告する。そして、いま目の前にいる忠信は、自分を護ってくれた忠信とは服装が違うことに気がつく。義経は忠信を下がらせ、静御前がこれまで携えてきた「初音の鼓」を打つと、今いた忠信とは別の、これまで自分につき従ってきた忠信が現れる。静が、この忠信を義経にいわれたとおり脇差で斬りつけると、忠信は自分はじつは狐(源九郎狐)であることを白状し、また、自分の両親の狐が初音の鼓の革となったのだといういきさつを語る。

これにたいし、義経はその親に対する忠孝に心打たれ、源九郎狐に初音の鼓を授けることとする。源九郎狐は、感謝して初音の鼓を受け取り、逆に義経を襲おうとしていた悪僧を超能力で退治し、去っていくというものである。

舞台の感想としては、初見のためストーリーを熟知していないことあったが、少々退屈だった。

というのも、場面が河連法眼館からまったく動かない。(先に見た同じ義経千本桜の「すしや」も同じ。逆に言うと、白浪五人男のように、浜松屋→稲瀬川堤→極楽寺屋根→山門→滑川土橋といった場面の多い展開となるのは、近代に近くなってから生まれた作品の特徴なのかもしれない)

また、舞踊もなく、いささか華やかさに欠ける。

どちらかというとストーリー、語りの内容で見せる舞台であり、これに、狐らしい変化ぶりや言葉使いなどで味付けするといった内容であるため、三段目の「すしや」も含めどちらかというと玄人好みの演目かもしれないと思われた。

ただ、帰ってから配布されていた台本を見たところ、これはやり取りの機微がよく分かるもので面白い。歌舞伎はこの辺までの予習は必要なようである。

鑑賞教室では以下のような説明があった。

・鼓は左手で音の調整をする

・素材は胴は桜で、革は馬の革を使う

・狐の言葉(語尾を短くいう)などに注目して欲しい

<追記>

「狐の言葉」については、上手に使えば哀れみを誘うが、そうでない場合には滑稽に堕してしまう。そのとおりと思われた。

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