歌舞伎『生きている小平次/三人形』歌舞伎座

強い雨が降りしきる中ではあったが、週末らしい手ごたえも欲しいと思い歌舞伎座夜の部最終へ出かけた。

雨ということもあり一幕見の客は10名程度しかなく、しかも半数以上が外国人だった。

さて、『生きている小平治』だが、こんな話だった。役者である小平治と囃子方である太九郎は古くからの友人だが、はるばる東北へ旅行に行った折に、沼で釣りをしていたときに小平治が太九郎の女房を随分以前から好いており、別れてほしいと持ちかける。太九郎は最初受け流していたが、ついには怒り出し舟の櫂で小平治を打ちのめし、沼に突き落として殺してしまう。

太九郎は、そのまま江戸へ戻るが、女房のおちかの元には小平治が生き延びて現れ、戻ったばかりの太九郎の前にも現れる。太九郎は小刀で小平治を突き殺し、おちかとともに東海道を逃げる。しかし、その太九郎は、また小平治が目の前に現れるような錯覚を覚えて恐怖するというものである。

怪談めいた話で、場内も暗く、靄のたち込める沼の情景、夜の灯火がともった江戸の太九郎の家、東海道の情景など、ふだんの歌舞伎にはない設定が珍しかった。ただ、演技は、怪談とはかけはなれたものになってしまっており、意識しての演出なのかもしれないが、怖いものは怖くなければいけない、これはどうも違うのではないか、滑稽さのようなものを演出したいのであればもっと滑稽さが前面にないと中途半端なのでは、という印象が残った。

『三人形』は、吉原を舞台とする舞踊で、傾城、若衆、その供の奴が踊るものである。最初三つの扉があり(それぞれ、傾城、若衆、奴と書かれている)ここから登場して、舞踊を繰り広げる。時折り、坐って動かない状態になるのが人形ということなのか。よく分からなかったが華やかな舞踊だった。

帰ってから、芸能百選で義経千本桜の「吉野道行」がテレビで放映されていた。演目が違い単純比較はできないが、指先にまで気を配った上手な舞踊だという印象を持った。

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