豊かさについて

豊かさについて考えているわけだが、これについて当然ながら経済的な価値であれこれいうこと自体あまり意味がない。したがって経済学でも人間の豊かさについて、貨幣的価値の増加という側面について言及していても、じゃあ一体なんだということについては、まったく人それぞれであるという回答しか持ち合わせないことになる。少なくとも、貨幣的な価値を多く有する者については、それをもって何らかの満足を得る「選択できる自由」をもっているという切り口しかないだろう。

いっぽう、哲学の面からは、これも何らかの決定的な回答を持っているとは考えがたい。「選択の自由」と同じく「思考の自由」というところに帰せられるのではないか。

ここまで言っているのは結果でなくプロセスへの関与形態までしかないのだから、あとは自らの知性や感性ということになるだろう。

もう一つ、脳化の問題からすると、これまでの代々からの日本人としての経歴をふまえ、何をするのかということ。身体を使う、伝統的な食生活を尊重するなど守るべきは守り、日常の仕事を大切にするという社会における役割を果たし、あとは自由な時間に、楽しんだり、学んだり(しばしばこれらはないまぜになる)、ということになるだろう。また、このブログのように、アウトプットすることがことのほか大切であると思う。これらを意識的に計画して行うことができれば、十分豊かであり幸せなのだと思う。

こんなところに本当の豊かさがある、あるいは本当に充足した時間があるということを書き留めていくことも大事だと思う。