成田→メンフィス

■日程

15:50 成田空港発(コンチネンタル航空CO6便)

13:50 ヒューストン空港着

15:35 ヒューストン空港発(コンチネンタル航空CO2019便)

17:04 メンフィス空港着

■日記

今回は、アメリカ・カナダを12日間かけて旅行することになる。アメリカは、ずいぶん昔、ヨーロッパへの向かう際に(北極航路)、アンカレッジに給油で着陸したのと、後にグアムへ行っただけで、つまりアメリカ本土へは足を踏み入れたことがない。

当初の予定は、ニューオリンズから旅程を始め、アムトラックを中心にアメリカ東半分の主要都市をめぐる、というものだったが、このもくろみは最初からつまづくこととなった。巨大ハリケーンカトリーナ」がメキシコ湾からルイジアナに上陸、ミシシッピ川の河口に位置し低地であるニューオリンズは甚大な被害を受けたのである。空港など公共施設には家を失った難民があふれ暴動や略奪騒ぎも起きているとのこと、鉄道も動き始めてはいるらしいが、ともかく街自体が危険な状態にありとても観光で訪れるような状態ではなかった。

旅行会社からも出発直前になって、ニューオリンズは避けたほうがいい、どこか違う都市に目的地を変更してほしいとの連絡があった。少し考え、ニューオリンズ滞在の後は列車でシカゴに向かうつもりであったので、その旅程の途中にあるメンフィスに目的地を変えることとした。

アメリカへ向かう機中(コンチネンタル航空)は、日本人女性と隣合わせだった。ヒューストンで乗り換えメキシコシティーへ向かうという。スペイン語圏ということで、旅行ガイドの日常会話のページに見入っている。空港への到着が近づき、下界に目をやると、乾いた大地に不思議な緑の円形模様がきれいに並んでいる。あれはいったい何だろうという話をしたが、結局よく分からなかった。(あとから考えると、スプリンクラーを利用して灌漑するアメリカ式の大規模農園ではないかと思われる)

【#01 機中からの日の出】

f:id:alpha_c:20081006080752j:image

【#02 スプリンクラーによる円形農地】

f:id:alpha_c:20081006080749j:image

ヒューストンは、コンチネンタル航空ハブ空港の一つで、ここから様々な地方へ飛び立つ飛行機に乗り換えることとなる。ある意味バスターミナルのようなもので、係員も、「Tallahassee!」(タラハシー行きが出るよ、他に乗る人はいないか。)と声を張り上げている。メンフィスへの飛行機は小型機で、タラップから搭乗した。

【#03 ヒューストン空港】

f:id:alpha_c:20081006080746j:image

【#04 搭乗したコンチネンタル航空機】

f:id:alpha_c:20081006080754j:image

メンフィスはテネシー州の州都で、南部と中西部の境にある。黒人の比率が高く、ブルースなどの音楽も盛ん、エルビス・プレスリーを生んだ土地としても有名である。空港からは路線バスで街の中心に向かう。運転手は黒人女性だ。途中乗り換え時に行き先を聞かれるが、やはり・・・相手の話している英語が理解できない。いろいろとやりとりを繰り返す中で、なんとか行き先を理解してもらい、バスをその近くまで回してもらえた。

【#05 到着したメンフィスの空港にて】

f:id:alpha_c:20081006080743j:image

中心まで来るが、ミシシッピ川流域随一の50万都市という規模の割には、拍子抜けするほどの閑散ぶりだった。後にだんだんわかってくるが、アメリカの街は、ニューヨークやサンフランシスコなど一部の例外を除き、こんな感じである。逆にいうと土地をぜいたくに使っているため街の集積には欠けるところがある。

さて、メンフィスではビール・ストリートという有名な通りがある。ビール(Beale)はつづりが違うのであの飲むビールのことではない。ただ、この通りは飲み屋街のようなものである。店のネオンがきれいで西部開拓時代の雰囲気もあるようだ。

ホテルはあらかじめ日本でSUPER8というモーテル(ホテルの中では比較的安い。)を予約しておいた。ダウンタウンにあるということなので歩いていけるだろうと思ったが、後にそうでもないということを知ることになる。

夜まで街をぶらぶらし、翌日のシカゴ行きアムトラックの切符を手に入れるためメンフィスの駅までトロリーに乗って出向く。だが、着いたところは街外れで寂しい建物だった。周りも薄暗いが、駅内にも電気がついていない。まったく予想した駅の姿とは異なるものだった。それでもなんとか出札にたどりつき、初老の黒人の係員と切符の交渉をする。

切符を手に入れた帰り際に、どこに泊るのか聞かれたため、宿泊先のモーテルのことをいうと、ここから歩いてはいけないという。5ドルで車を出してやるから乗っていけという。初めての街でもあるため、言葉に従い、送ってもらう。たしかに歩いていけない距離ではなかったかもしれないが、あまりにも道沿いが寂しい。身の危険ということも考えると正解かも知れない。(現に翌日も街の中心まで車で送ってもらった)

要は、もうここでわかったけれど、街のつくりがヨーロッパや東南アジアとは違い、中心の一部を除き、車用にできているということだ。ハイウェイを走り、目的地まで行く。インターチェンジの近くにモーテルがある。ということで、歩いてどうこうするような街ではないのだった。

モーテルに着くと駅員改め運転手が、「さあ、ここに入ったら絶対外へは出てはいけないぞ」、と何度もいう。たしかに場所としてはさらに寂しい場所になってしまった。外出してどんなトラブルがあるかも分からない。大体、泊っている客も変な感じだ。言いつけ通り、粗末な部屋のカギを厳重にかけ、この日のディナーは、怪しげな匂いを放つ、機内で配布されたトルティーヤのようなもの、ということになってしまった。