身の回りの神話

無条件に、というわけではないけれども、なんとなく「そういうもんでしょう」とか「そうあるべきでしょう」と思ってしまっていることはいろいろある。

でもホントなの?というところを、掘り下げないと足を取られることがある。

例えば、

  • 人のちからは無限の可能性を持っている

上記はカッコ付きでとりあえず認めてみてもよいけれど

  • 人のちからは勉強で伸びる

こうなるとだいぶ怪しくなる。勉強をすること自体が手段でしかなく、どんな勉強をするかが大事だからだ。

若いころはお仕着せでうまくいくときもあるが、大人になればなるほど自分なりにどんな目的意識を持ち、そのためにどのような方法が効果的なのかよくよく考えることが必要だからだ。

  • こうなると勉強をしている人は力をつけている

はまったく根拠に乏しいということになる。この「勉強」という言葉は「仕事」に置き換えてみても通じるのではないか。

ここで言いたかったのは、こんな卑近な事例を含めて、社会においても神話ができあがりつつあることだ。

  • 高齢者は社会参加により生き生きと生活できる

これはまあよいけれども

  • 高齢者は働けるうちは働くべきである

これはどうでしょうか。働くことは手段であるとともに目的でもあるから、ということはあるのだと思いますが、それは誰にとっても同じなのか。自分に関すること、そして社会に関することで神話ができあがるということは恐ろしいことでもあります。